住職の小話

 令和2年8月28日

宗教法人法 (この法律の目的)

第一条 この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。

・財産所有と維持運用
・目的達成のための業務と事業運営
・法律上の能力

この3点が主な目的となっています。

 

「資する」というのは助けるという意味ですから、この法律は「宗教団体の活動を助けるために法人格を与える」ためのものということになります。

では、第一に、なぜ「宗教団体の活動を助ける」必要があるのか、というと「宗教活動は社会のため(公益)になるから」という理解がその前提にあるからです。

社会のため、公益のための活動というのは、これも平たく申しますと、「利益を生むための事業」ではなく、「これは社会に必要な事業だから、利益とは無関係に進めてゆかなければならない。もしお金が足りないならば、何とかしてかき集めてでもこれを行なわなければならない。」これが公益のために行なう活動です。ですから公益法人の中の一つである「宗教法人」は、様々な税制上の優遇措置を受けられるのです。

※(ちなみに、法人税や固定資産税は優遇されますが、僧侶はお寺から給与を受け取りますので、その給与に対する所得税、住民税は納税します。)

 

 第二に、宗教団体が法人格を取得すると、どういうところが助かるのか。税制上の優遇のほかに、社会的な信用を得られるということがあります。しかし最も重要な点は、「礼拝施設が法人の所有となる」ということです。
清浄院を「宗教法人」にしないままであれば、土地建物は住職(私)の個人名義のままです。そのように選択したわけではなく、個人名義でしか登記できないからです。
普段はそれでも一向に構いません(固定資産税はかかりますが、さほど広い土地でもないので金額は大きくありません)。しかし、たとえば住職が死亡したといたしますと、その時点でお寺の土地建物が個人の遺産相続の対象になってしまいます。そうすると、大切な本堂=礼拝施設が、それまでの寺院活動とはまったく無関係な第三者-僧侶でも信者でもない第三者の手に渡ることもあり得るわけです。これではせっかくの信者さんたちの信仰の場が守られなくなってしまい、寺院としてのそれまでの活動、努力が無に帰する恐れが生じてきます。
こうした事態を未然に防ぐために、「宗教法人」という法的立場を取得する必要があるというわけです。宗教法人であれば、住職(代表)が死亡しても代表役員が次の住職に交代するだけです。礼拝施設の所有者は「宗教法人清浄院」のままで変化はありません。

 ここで問題としたいのは、その「宗教法人」を設立するということがきわめて困難になっている、という点なのです。

 宗教法人の認証は各都道府県庁が出します。各都道府県に担当窓口があるのですが、担当者は非常に厳しい条件を課してきます。「オウム真理教の事件以降、法人認可が厳しくなった」というふうに言われてはいるのですが、提出書類に少しでも不備があれば「また来年いらっしゃい」と一年待たされる。次の年には別の点を指摘され、「また来年いらっしゃい」。この連続です。しかも担当者が転勤で移動になると、新しい担当者とまた一からやり直さなければなりません。

 清浄院の場合、茨城県小美玉市で活動を開始しました。県庁へ宗教団体設立の届け出をだして始めて初めて宗教団体であると認識されます。これより年間の活動を記録し県庁へ提出してゆきます。それこそ日々の活動記録を証拠として挙げてゆくのです。それまでどんなに教化活動を行っていたとしても、届出をだしてからが様子見となるので、以前の活動は認められない場合もあります。なかなか大変なことです。

 「宗教法人設立のハードルを下げると、悪質な団体がのさばる恐れがある」という声もありますから、厳しいことは言うまでもありません。

 例えば、営利を目的として、「株式会社」を設立する。会社の名前はどうしようか..
そこから始まっても1ヶ月もかからずに、登記まで完了するそうです。これに対して宗教法人の場合は最低3年。一般に5年から10年…。

お釈迦さまは、人々を苦から解放しようというお志のもと、覚りの座から立たれて布教を開始されました。超高齢社会といわれるこの時代、医療や介護だけではカバーできない心の領域があると思うのです。われわれ宗教家が常に公益性を意識しなければならないのはもちろんです。その目的を永続的に保つことが宗教法人の設立につながるわけです。

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令和2年8月2日

迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥であり共命鳥(ぐみょうのとり)とともに極楽浄土に住むとされる。
サンスクリットのカラヴィンカ(kalavi?ka)の音訳。
その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられ、「妙音鳥」、「好声鳥」等と言われる。
心を癒すために、たくさんの鳥や動物たちにもその美しい歌声を聞かせていたが、ある時に喉を傷めてしまった。
もう一生歌が歌えないと嘆いているその声を聞き、仏様が極楽世界から降りてきました。
「カラヴィンカよ、お前は本当に良くやってくれた。
私の代わりをやってくれたんだよ。たくさんの動物たちの心を救ってくれた!
お前の歌声は、仏の声そのものだ。
・・さぁ、極楽浄土に参ろう。
お浄土で、きっとお前の声はよみがえるであろう。
そして、カラヴィンカは、仏さまと一緒に『極楽浄土』へとむかいました。
カラヴィンカの声は、極楽の国で見事に蘇りました。
そして、さらに美しい声に磨きをかけて、今も極楽世界で、その歌声を披露しながら、優雅に飛び回っているのです。R2.8.2

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令和2年8月1日

仏説『阿弥陀経』に出てくる鳥たちの名前です。

白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥

びゃっこう・くじゃく・おうむ・しゃり・かりょうびんが・ぐみょうの鳥

一つの身体に二つの頭という共命(ぐみょう)の鳥は、極楽浄土に生まれる前の前世では大変、仲が悪かったと言われています。
片方の頭が「右へ行きたい」と言えば、もう一方の頭は、「左へいきたい」と言い、片方の頭が「もっと遊びたい」と言えば、もう一方の頭は「休みたい」というように思いは其々逆であったようです。
身体が一つですから、当然そこに問題が起こります。

ある日、片方の頭が相手の頭に毒の実を食べさせました。
すると、その命を落とす寸前に、その毒の実を食べさせた頭が、大切なことをしてしまった事に気がつきます。

「これまで私はわがままを言いながらも、何とか生きて来られたのは、あなたがいてくれたからだった。」「この私の命はあなたの命と共に授かったものだ。」ということに気づくのです。

しかし時すでに遅し、身体は一つですから、双方ともに命を落としてしまうのです。

これを、「縁起の道理」と言います。このことによって後に極楽浄土に生まれ往くことが出来たと言われています。

この鳥の話は何を伝えたいのでしょうか

「いのち」は私だけのものではありません。
他を滅ぼすことは、自分自身を滅ぼすことになり、他を生かすことで己が生かされるという事です。これらの理に気づくということが
我々には必要であると釈尊は教えてくださっております。

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令和2年7月10日 
末法の時代の人々を、往生できる人かどうか考えてみた場合、 お念仏の行が少ないといっても、往生できることを疑う必要はありません
一回の念仏、十回の念仏でも十分なのです

 自分が罪を犯してしまった人であっても、往生できることを疑ってはなりません
阿弥陀仏は罪深いものでも嫌わないと仰っているからです

 今は末法の時代、釈尊が亡くなってから、かなりの時代が立ちました。
そういった時代であっても 往生できることを疑ってはなりません
 阿弥陀仏の本願力は仏教の教えがやがて滅んでしまう「法滅」以降の人々でも往生できる教えなのです。

元祖大師御法語 第10章 「一紙小消息」より

素晴らしい!

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浄土宗の宗義、列祖相承の宗脈、戒脈を授与する大切な儀式が現在『京都知恩院』で行われておりますその伝宗伝戒道場より 行中の僧侶からお礼の手紙を頂きました ずいぶんと昔になりますが、当時私も同じように名も知れぬお方から 行のための袈裟を頂き厳しい行を満行できた一人です 袈裟には喜捨する方々の祈りや願いがかかれております 同時に修行僧は祈りと願いを御仏へ念仏し礼拝讃嘆するのです

当山『清浄院』では袈裟の喜捨と新亡回向を総本山知恩院に於いてお願いしております。清浄院に縁ある精霊たちの為追善菩提そして安寧を祈りながら御仏のお慈悲に頂けることを感謝し念じております。合掌 
南無阿弥陀仏 令和元年12月22日  
清浄院 佛子 仁譽智阿忠春拝

 

清浄院では京都の 総本山知恩院 で加行を受けられる修行僧達へ伝道袈裟の喜捨をさせて頂きました。 当時私も同じように施主様の願いを込められた袈裟を頂いた僧侶の一人です. 袈裟には戒名や追善の回向文が書かれております。施主様の願いは袈裟を着衣する僧侶が背負うかのように修行の中で念じられ満行へと向かわれてゆきます。総本山知恩院は法然様のお膝元です。また法然様に帰依されてこられたご歴代天皇、皇族方、徳川将軍家のご回向と共に施主様方、ご先祖様へのご回向も行われてゆきます。
令和元年 8月 合掌

 

 

鹿児島 布教に行ってまいりました。講話の前のお斎はとてもおいしくいただきました。有難うございました。合掌

 

 

浄土宗の開祖法然上人は御法語の中で「魂」という言葉を使われています。『元祖大師御法語』前篇22章に「屍(かばね)(死体)はついに、苔の下にうずもれ、たましいは独り旅の空に迷う」と肉体から魂=私が離れていく様子が述べられています。

われわれ人間だけではなく万物の生き物全てに寿命があり永遠に生き続けられるものはありません。

阿弥陀さまを信じてお念仏をお称えしていれば、人間である私、魂=私はこの身体が滅されたのちにお浄土へと向かわれるといいます。
お念仏をもうしているとその声は阿弥陀さまに届いて、阿弥陀様はこちらを振り向いてくれるのです。

お浄土に往生を願い中陰には極楽に往(い)った亡き人を包んでいる蓮華の花が開くことを願い、追善の心を捧げます。中陰とは残された者の悲しみや苦しみを癒すとともに、亡き人への想いを深めるための期間なのです。

月や夕陽、海、山を見て、そこに仏や先祖の魂を感じることがあるかと思います。「いのち」のつながりを感じ取るときには、不思議な縁(えにし)を感じます。それは、身体を通して「生命」と、過去・現在・未来を通して自分との連なりが合流することを感じるからこそであります。

人間の体の中にあり、精神や生命を支配する目に見えない存在が霊魂(れいこん)、魂です。人間という個体を内側から成り立たせる根源になるものです。誰もがいずれは寿命を迎え、彼の国へ召される時が来ます。阿弥陀さまのご縁をいただくことで何か心が安らぐような気がします。南無阿弥陀仏 忠春拝 h.30.3.27


 

わたしたちは、他人の過ちにはよく気がつく。隣人や友人がどんなことをいったか。どんなことをして自分に迷惑をかけたか。いかに約束を守らなかったか等 そういうことには敏感で、時にして陰口や不平をいうものである。これにたいして、自分がしたことを正確にみることを、私たちは苦手とする。 忠春拝

 

 

人との出会いは不思議である わたしたちは思いがけないときに思いがけない人と出会う 多くの人の行きかう中で待ち合わせをしているとき、何年も会わずにいた人に偶然出会う。同じ空間にいながら、何年も気づかずにいることもある ご縁があるというのはそういった日常の中で選ばれ出会うことのようだ 忠春拝

 

 

人は幸福を願うものである。善をなす者も、悪をなす者も、幸福を願っている。時として人は、どうしてあんなことをと思うことがよくある。つまり、悪をなす者は、幸を願いながらの手段を誤ってしまうのだ。ブッダはそういった人間の幸福に達する正道を説いている。忠春拝

 

 

人に生まるるは難く
今生命あるは有難く
世に仏あるは難く
仏の教えを聞くは有難し

生きる上でどうしても避けられないことがあります。それを嘆くことだけではなく 
「無常の現実」を受け止めるしかない時があります。 仏陀はそれらが現実であると説いております。
生きることは 楽だけではありません悲しみや苦しみも同時に背負うことになります。
生きることは難しいだけに「有難い」ことであり、「有難い」と気づいたときに人間として生まれた
喜びを感謝する事が大事です。 忠春拝

 

 

法爾の道理という事あり

炎は空に向かって昇り、水は低い方に下がってゆく 菓子のなかにも酸っぱいもの甘いものもある それらはすべて法爾の道理だというのである。 これと同じように  阿弥陀仏の本願は名号を称えれば その功徳によって衆生を(我々)を導いてくださるという 仏の来迎は自然法爾であって疑うことはない。               〜法然上人のことば〜より

元祖(法然上人)さんは800年以上も前に 世の中の理を 言葉にして伝えていました。それがどんなに凄いことか..

お念仏の教えは当時、沢山の人々を救いました。平成天皇からもそのお徳を讃えられ大師号を加謚(かし、おくりな)されたほどです。

お釈迦様より伝来されてきた教えが、法然上人によって今もなお人々の心の安寧に繋がっているのです。 忠春拝

 

 

平成23年3月16日、天皇陛下より、宗祖法然上人に対して大師号「法爾」が加諡宣下され、宮内庁において羽毛田宮内庁長官から浄土門主・総本山知恩院門跡伊藤唯眞猊下に伝達されました。

「法爾」とは、あるがままの理(ことわり)を意味する「法爾道理」「自然法爾」からとられたもので、法然上人の名前の由来でもあります。

「圓光」「東漸」「慧成」「弘覚」「慈教」「明照」「和順」につづき、これで8つ目の大師号となります。

ちなみに真言宗の開祖 空海さんは 弘法太子 天台宗を開かれた最澄さんは 伝教大師という大師号を頂いております。


大師号とは、徳の高い高僧に朝廷から贈られる名のことであります。 法然上人の生前の徳を讚えて、滅後480年余に朝廷より賜った大師号は、500年遠忌の 行なわれた宝永8年以降、50年ごとに加謚される習わしとなり、現在までに下記のよ うに賜っています。

大師号

天皇

備考

圓光大師

東山天皇

1697年(元禄10)

 

東漸大師

中御門天皇

1711年(宝永8)

500回忌

慧成大師

桃園天皇

1761年(宝暦11)

550回忌

弘覚大師

光格天皇

1811年(文化8)

600回忌

慈教大師

孝明天皇

1861年(万延2)

650回忌

明照大師

明治天皇

1911年(明治44)

700回忌

法爾大師

今上天皇

2011年(平成23)

800回忌

 法然上人が浄土宗をお開きになり民衆を救うお念仏を広めたことでどれだけの人々が救われた事でしょう。

今の時代においても法然上人の功績は多くの人々に受け入れられ救いとなり受け継がれているのです。 忠春拝

 

 

 

文化祭に展示された作品です。

 『仁徳の備わった人は、欲に動かされず心が穏やかでゆったりとしているので、おのずから安定したどっしりとした山を愛するものであるということ』「仁者じんしゃは山やまを楽たのしむ」と訓読する 次回は名前も書けるように頑張ろう!!

 

 

最近の更新はhttps://twitter.com/otera_shojoin が多いです。小話の更新がおろそかになっていました。
子どものころに「一休さん」という漫画をみてお坊さんになって修業がしたいと憧れた時期がありました。和尚さんの元で修業を行っている一休さん。とんちは鮮やかですが、いたずらもあり、おっちょこちょいな一面もあり。修行僧ですが、子どもながらに「楽しそう」だなって思っていました。でもエンディングでは「母上様おげんきですか..」と悲しいお歌が流れます。母親と別れての修業はさぞつらかったことでしょう。
私も人事ではありませんが、実際に修業をとなると家族から離れての生活になるわけです。特に年単位になるとかなり辛いものがありました。生活がまるっきり変わるわけですから、今までどんなに恵まれていたのか嫌でも自覚するわけです。しかし、祈りの誓いは続けなければなりません。 現実には世の中は明るい話題、エンターテイメント的な毎日が更新されるわけですが、修業の世界ではそうはゆきません。まずテレビも、ラジオも、携帯はもちろんありません。暖房も冷房もです...苦しみを経験するわけです。
そんな中、楽しみといえば究極の坊主ネタになるわけです。それこそ色々なものに眼が肥えて鋭くなるわけです。とにかく色々な事が笑いにつながるのだなと実感できました。一休さんのあの明るさもきっと修業の中から生まれた究極の姿だったのであろうと感じる今日この頃です。

平成29年10月26日

 

 

数年前まで、うちの施設に暮らしていたA君が遊びに来た。あらためて見ると大きくなったと感じる。野球をしているせいか、適度に日焼けをしていて健康的だ、人懐こくて明るい素直な子である。ひとつ上のB君と何やら会話をして手紙を書いていた。ゲーム?

キャラクター?よくわからないがとにかく子ども達の情報伝達は凄まじく広い。話題にもとても敏感だ!!帰り際にA君はB君に「B君6年生に見えない!」といきなり言い始める。自分と背丈が変わらないからだ。B君も「そっちこそ5年生に見えない」と応戦する。

4,5歳から一緒にくらしていた子たちも、もうすぐ中学生です。元気に育っていることに感謝です。

施設には門司一徹さんという方や平将門さんという方、チュチュアンナさんのような企業さん等から色々なご寄付が送られてきます。

大変ありがたいことです。 


いつかは羽ばたいてゆく子ども達、元気に育ってほしい。南無 忠春拝

 

 

『はじまりは自宅から』

 当寺は小美玉市に誕生した浄土宗の新寺です。浄土宗(京都)から委嘱をされ、この地の開教使として布教活動を行うよう任命されました。関西の師の支えや東京の師の勧めもあり念願の住職に就任しました。自宅からのスタートですが皆さんどうぞよろしくお願いします。

合掌 平成29年8月3日

 

 

『諦めるは明らめる』

 仏教の世界では、諦めることを「明らめる」と表します。
あきらめるとは断念するということではなく、事実を明らかに見るということであり、現実をありのままに受け入れるという意味にほかなりません。
現実を利害関係なしに見る眼と、感情にとらわれずに起こったことを受けとめることができれば、心は穏かになるのです。

平成29年8月2日

 

『子どもたちとの記念に』

以前、施設で支援していた児童が住んでいる寮に立ち寄りました。夏休みということもあり、カブトムシや、バッタを見せてくれました。 トランプをしたり、お話したり。大きく成長していることに感動しました。来たばかりのときは毎日泣いていて『堤さん帰らないで』とよく泣かれたものでした。平成29年8月1日

 

『お寺を造ることA』
『開教しました。お寺を造りましょう。』といっても境内や伽藍(建物)を整備するには財がなければ叶いません。私は勤め人ですから祈りの場所を自宅に設え、そこを礼拝所といたしました。浄土宗の宗祖法然上人はご法語の中でこう言っています。

『法蓮房申さく、
古来の先徳、皆その遺跡(ゆいせき)あり。
しかるに、いま精舎一宇(いちう)も、建立なし。
御入滅の後、いづをもてか、御遺跡とすべきやと。

 上人答え給はく、
あとを、一廟にしむれば、遺法あまねからず。
予(わ)が遺跡は、諸州に遍満(へんまん)すべし。
ゆえいかんとなれば、念仏の興業(こうぎょう)は、
愚老一期の勧化(かんけ)なり。
されば念仏を、修せん所は、貴賤を論ぜず、
海人魚人が、とまやまでも、皆これ、予(わ)が遺跡なるべしとぞ、
おおせられける。

(訳)
法蓮房信空上人(弟子)が法然上人に尋ねます。
「古来より徳のある素晴らしい業績を残された僧侶には、
皆それぞれ遺跡(後の世に残す思い出を偲ぶ場所)があります。
※最澄は天台宗比叡山。 空海は高野山金剛峯寺
それなのに、法然上人は寺院を一つも建立されていません。
法然上人が亡くなられた後には、どこを遺跡とすればよいのでしょうか?」

 法然上人がお答えになられます。
「遺跡を一つの寺院に定めてしまったならば、
私が残した教えが全てにゆきわたることがなくなってしまう。
私を偲ぶ遺跡は、きっとありとあらゆる場所にゆきわたるはずである。
それはなぜかと言うと、念仏を世に広めることは、
この私が生涯をかけて教え導いてきたことである。
だからお念仏申す人がいる所は、身分の貴賎などは問題ではなく、
漁師や海女の茅葺(かやぶ)きの家まで、
これら全てが、私を偲ぶ遺跡となるのである」
と仰せになられた。

ここで法然上人は念仏を申す人がいるところは『身分の貴賎』『建物の有無』等、問題ないことであるとおっしゃっています。そう考えますと私の祈りの場所は法然上人のご遺跡地の一つになるはずでしょう。
やがては地域の人々が祈り供養できる場所を将来をかけて整備したいと考えています。
そこも もちろんご遺跡地です。みんなの寺です。 忠春拝 

平成29年7月31日

 

『マハヤナ学園』
長谷川先生のご出身の御寺院に御挨拶に伺いました。
セツルメント運動をされマハヤナ学園、淑徳大学を設立された本宗の社会事業家でもあった大僧正でもある人で、ブラジル開教をされた先駆者でもある。そんな尊敬のできる先生のお位牌を前に手を合わせて祈ることができた。南無 忠春拝
平成29年7月6日


長谷川良信先生

 

『児童養護の子どもたちA』 @はブログへ
児童養護施設の朝は戦場である。というのは過去の話かもしれません。少なくとも私の施設ではのことですが...

私がこの施設に働き始めたころに特に感じたことは、子どもたちの目覚めが悪いこと、悪いこと その事にかなり悩まされました。

私は朝の男ですから、朝早く家を出て子どもたちを登校させるという役目が主になります。子どもたちがどういう風に夜や週末を過ごしているかが気になって仕方がありませんでした。 実際に子どもたちに尋ねてみると、案の定夜更かしをしているではないですか?!そういうことが起きれない原因の一つになっていたのです。 

しかし、よくよく子どもたちとの関わりを強めてゆく中でわかったことは、眠れない... 不安... 帰りたい...等様々な理由からでした。そうだよな.. 本来であれば家族とともに暮らして両親や兄弟と一緒に眠りにつくのが普通のことなのに.. やすらぎの中にいられないということは、それらを求めるんだな..と そうです!夜はとても不安になるんです。学校での事、友達の事、次の日の学校や出来事に不安を覚えるんです。 そういう子どもたちとの現場での関わりは非常に大切なことです。何も言えなくても、寄り添ってあげるだけで安らぎを与えられるからです。 子どもたちの不安や、悩みはすぐには解決しません、長い時間をかけて愛情を注ぎこむことなんです。 平成29年 7月4日 忠春拝

『お寺を作ること@』

私はある思いがあり出家しました。出家とは家を出る事です。仏祖お釈迦様も王の位を捨て家をでました。僧になるためには、自分の自我を得るのではなく捨てるという事の為に生活を変えてゆかなければなりません。私の場合、京都の佛教大学専修科で学問を学び、同時に総本山知恩院や大本山清浄華院での小僧生活の中で法務のお手伝い、法式、詠唱、を学び、寮生活の中で和合を学びました。貴重な学び、経験を得られた事、そして仲間との出会いが何よりの宝になり僧侶として申し分ない修業を収めました。 私はお寺の出身ではありませんから、住職になるお寺がありません。もちろん所属寺院はありますが... 法然上人のお膝元で修業したことですから、いつかは御縁のあるお寺の住職になり、素晴らしい仏教の教え、法然上人のみ教えを少しでも多くの方に伝えたいという気持ちがだんだんと強くなってゆきました。同時に自分の祈る場所がほしかったのです。 浄土宗では平成15年ごろから国内開教施策を始めていました。浄土宗のお寺のない地域や人口が増えている、そういった地域への開教です。私はある東京の御上人からの御縁で、浄土宗国内開教施策の御縁をいただきました。この御上人との御縁がなければ「開教しよう」、「お寺を造ろう」というところまではたどり着けなかったであろうと考えております。 続く... 平成26年6月25日 忠春拝

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